縁側スペースneiro
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感度ゼロの私に訪れた不思議な体験 
〜縁側スペースneiro
代表 新田純子さんのAnother Story〜

Writing by あそゆか

プロローグ プロローグ

私たちは、日々、あらゆることを思考し、そしてあらゆる反応があって、さまざまな感情を味わう、そんな毎日を生きています。 

その日常の目の前には、家族や友人、大切な人がいて、毎日暮らす家があり、そこにはたくさんの暮らしの物たちが溢れ、窓の外を見れば、庭の緑、隣の家や道路、上を見上げればそこには太陽の光があり、雲があり、空があり、風が流れます。ざっと表現した、私たちが生きる日常。

ここにはもうすでに「見えないもの」と「見えるもの」が混在しています。
心も、思考も、私たちは、こんなにも日々感じて、考えて、時にそれらに翻弄さえされるのに、その形を見えるものとして捉えることはできません。
ですが、その心や思考こそが、私たちの日常を大きく左右します。

我が子のなんとも愛くるしい寝顔に、心がゆるみ愛しさが込み上げ、その柔らかな髪をそっと撫でながら抱きしめる日もあれば
散々なことがあって疲れてクタクタな日に、家族が脱ぎ散らかした服や物たちにうんざりして、小言どころか嫌味、どうかすると「片付けなさいって言ってるでしょう!!」そんな言葉を投げつけてしまったり。

目の前の、見える者・物たちとの関わりは、目に見えない心と思考によって、いくらでも変化してしまう。 同じ存在が愛しくも見えれば、憎たらしくも見える、それは全て、私たちの「心と思考次第」でもあるのです。
この、心や思考、「見えないもの」って、一体、なんでしょうか??

そもそも、授かっているこの「命」という原体すら、見えません。

私たちの世界は、三次元だけれど
でも実はそこにもう、心や意識という「目に見えないエネルギー」が作用している世界でもあり、4次元のような世界。

だから
目に見えないものを、
特異なもの、異質なもの、不可思議なものとしてではなく
日常に溢れる、ごくありふれているものとして、捉えてみて欲しい。

それは決して、特別でも、不思議でもない。

でも、とっても影響力があるもの。
だとしたら、どんな影響力であって欲しいか。そんなお話です。

私たちの世界は、三次元だけれどでも実はそこにもう、心や意識という「目に見えないエネルギー」が作用している世界でもあり、4次元のような世界。

プロロ見た目の後ろに秘めた、主人公不在のストーリーーグ01 見た目の後ろに秘めた、主人公不在のストーリー

縁側スペースneiro株式会社の代表でもある、新田純子さん。

彼女のプロフィールやストーリーを綴るためにお聞きしたたくさんの話の中から、ここでは彼女が体験した、ちょっと不思議な…でも、人が幸せに生きていくために、実はとっても大切だろうことを、彼女のライティングを担当したライター目線でお伝えします。
現在、縁側スペース株式会社の代表として、心の本音を取り戻し、自らの心と思考を一致させながら、「本音で幸せになる」人生を作っていくプログラムを提供している純子さん。

岐阜県にある、ご自宅の縁側で半年間彼女が伴走する「セルフチューニング実践講座」は、心の仕組み、心との向き合い方、付き合い方、本音の伝え方と受け取り方などを学びながらひたすら実践して、「本音と本音で自分とも他者ともつながり合う関係」を築いてゆくもの。誰かや何かに譲りすぎて、自分の本音がわからなくなってしまった人、もっと、本心から幸せに生きていたいと思う人が、受講されています。
心という、見えないものを取り扱う講座、それを伝える、純子さん。

彼女は側から見たら、とても恵まれた環境の中で生まれ育った人でもあります。
岐阜県で、公務員として勤め上げたお父様、幼稚園教諭で気遣いのあるお母様、家を守り抜いた、厳しくも愛情深いおばあさま。 「どこから見てもいい家庭」で育ち、何不自由なく、大切にされて育ってきたと、ご本人もおっしゃるほど。

新田純子さん

そんな彼女は、実は、周りの感情や空気を過度に読んでしまう、敏感な心の持ち主でした。
ぱっと見、とても活発で自己表現のできるしっかり者。周りの人も気遣い、リーダーシップも取れる。闊達な人、という印象を与えます。

でも、実はそれだけじゃない。
表向きに与えるその印象とは裏腹に、敏感な心が、いつも周りの誰かを気にしては、自分の心の判断の舵を握っている。

積極的なんだけど敏感で、活発に動きがらも、いつも他者の感情や言動に心が刺激されて、激しく消耗し、疲れ果てていた。
彼女はずっと、自分を生き切ることができなかった。自分のことを大切にしてくれるご両親や周りの人、職場の人たち、その人たちの期待や思いを、頼まれてもいないのに、勝手に背負ってしまう。だから、振る舞ってしまう。
自分の心のままに生きるのではなく、「大切な人たちがきっと望むであろう私の姿」「模範解答のような生き方」で。

それはいわば…
「養殖場で一番元気なブリ」みたいなものかもしれません。元気だし、活きもいい。ピチピチしていて、実にうまそうだ。
だけど実際は「他人の領域の中で自由そうに泳いでいる」

そう、大海を、泳いではいないのです。
天然物の、あの身が引き締まったうまさには、叶わない。

養殖場の、その狭さに、元気に泳いでいるようで、窮屈さを感じ、ストレスが募る。だから、具合を悪くしたり、病気になる。

保育士として、子どもが育つためには「心情・意欲・態度」がコアであること、心情を共感・理解されることで、意欲となって態度になる、だからこそ、子どもの心情に共感することが大切と、心を育む保育を実施、そのキャリアを着実に積み重ね、結果を出しながらも、その後ろでは、倒れて寝込むことも幾度となくあり。

自分の望みよりも、まず始めに、父や母、祖母がどうして欲しいのか、何を期待しているのかを察知しては、両親や祖母が喜びそうな方を選択。
新田純子、というその体の、心の中には、「期待に応えたい大切な人たち」が棲みついてしまっていて、彼女自身がいなくなっていた。

私なのに、私がいない
でも実は、そのことにさえ、気づいていない

そんな世界を生きていた。
だからこそ、「ただ、これが好きだから」「これがやってみたかったから」そんなシンプルな言葉で世界を選ぶ人との出会いに心底驚き、生きるということの新鮮味を知って、その世界を…

心のままに、
私の「好き」や「いや」
「やりたい」や「やりたくない」
「欲しい」や「欲しくない」
「私はどうしたいのか」という本音から生きる世界を
人の本来の生き方を取り戻す道に、引き込まれ、突き進まれたのだろうと。

今回、純子さんと私は、このHPを作るために必要な対談やインタビューをいくつも重ねました。
その中で彼女が言ったこと。

新田純子さん

ずっと誰かや自分以外の何かを基準にして生きてきた人にとっては、自分の本音を開くということは、怖くて仕方ないんです。
それはまるで、生まれたてのパンダみたいなもので。赤ちゃんパンダって、ものすごく皮膚が薄いじゃないですか。

他人の期待に沿わず、自分の本音を差し出すって、その薄い皮膚が剥かれるかのような、ヒリヒリとした痛みを伴う、ものすごく怖いもの。

誰かの基準に沿って、その思いを汲んで生きている方がよっぽど楽なんです。
私はそうだったから、その気持ちがどれほどのものか、すごくわかる。

他人の、世界の、社会の。
誰かや何かの、機嫌や、規範や、期待や、想い。

それは全く目に見えないものなのに、それの、見えない影響の大傘の中で生きてしまう私たち。
本音、「私はどうしたいのか」というその答えさえも、目に見ることはできません。
でも、その本音を出すことが怖くて、出した時、どうなるかが怖くて、皮膚が剥かれるほどのヒリヒリとした痛みになる。

時にそれは、近しい、失いたくない、大切な人にほど、強く作用する。
大好きな人にほど、本音を、ありのままの気持ちを晒せない。
だからこそ、感じてしまう孤独感。
このまま行っても、私が望む幸せには至らないという、予感であり確信が、心の内側から、ノックしてくる。
私たちは、見えないものに、こんなにも影響され、本来の自分を出せずに、もやもやとしたり、苦しくもなる。

縁側に座る女性達

まるでそれは、見えないものの、呪縛のようです。

縛られ、制限され、気を遣い、時には怯えて、誰かや何かにお伺いを立てて、生きるために、愛されるために、命の許可を乞うような。 私たちが望んでいたのは、そんな生き方や人生なのか。

答えはどうしたって、「NO」なはずです。
きっと誰もが本当は、自分を、その本音を隠すように生きるのではなく、本音のままに、心を広げて生きたいと願っているのではないでしょうか。
自分が自分の生き方に「YES」と言える生き方を。
誰かや何かに遠慮することなく、自分の本音から生きる人生を。

でも、怖い。どうしたらそれが叶うのか。

心情・意欲・態度。

心、気持ちが、やってみたいという意欲になり、それが態度、行動になる

新田純子さん

そのプロセスを、見守り、共感し、応援してくれる存在がいれば、そこには信頼関係が生まれ、子どもたちは自らの力で、自分の世界を興味とともに体験し、学んで広げていくことができる、という保育の原点、 子どもたちに伝えてきたことを、大人にこそ実践することで叶う。
純子さんはそれを自らの身で実践しながら、体験と体感を通して、彼女自身が「私の本音のままに生きる人生」を再構築、セルフチューニング実践講座へと、体系化した人でもあります。

私が私の心を、本音を、やってみたいという意欲を大事に受け止め、応援し、その心のままに、勇気を持って態度に、行動にし続ける。

その日々日々の実践。
それをするごとに、体験したものは、想像を超える「心のつながり」を生むもの、でした。

新田純子さん

分岐点 分岐点

両親にとっていい子でいたい、望む娘でいたい。厳しいおばあちゃんの言いつけは、反感こそすれど、期待にはやっぱり応えたい。
そう思い続けてきたという、純子さん。
私たちは「生きるとは、こう言うのものだ」と言う定型を、生まれ育った家族の中で形成します。

アインシュタインが「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだ」と言った名言の通り、一番身近な家族のあり方やその関わり、その環境下で体験したことを通して、「自分だけの偏見」を「世界の常識」にしてしまう、それが人間です。

純子さんにとっての「家族」は、大切な場所だけれど、自分のすべてを見せられる場所ではなかった。
いつも家族の調和を乱さないように、ご家族の機嫌や状態、関係性を察知しては、バランスを取るように生きてきた。

「生きる」とは自分の喜びのためではなく「家族の喜びや満足」のためにあった。
誰にも頼まれてはないけれど、自然と周囲のパワーバランスを推測しては、家族が喜ぶ方、期待する方、満足するのは、どれなのか、なんなのか、考えては察して、選んでしまう。

期待に応えることこそが、求められる結果を出すことこそが、私を私たらしめる。
これを選んだら、お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、満足だよね。嬉しいよね。こうしておけば、大丈夫だよね。


いつもいつも、その基準で生きたきた純子さんにとって「自分の感じたままに物事を選択する」という視点は、持ち合わせていなかった。
「いい子でいられる私」で形成されていた、純子さんの世界。
一見それはとても優秀で、揉め事もなく、穏やかで、豊かな生き方そのもののように見える世界。

何をするにも「模範解答」が予見され、それを先回りしては選んでいた。
それらしい世界は、評価も賞賛もあった。なのに、何かが窮屈で、将来には希望が見いだせない。それが純子さんの人生の約四半世紀。27歳まで。

運命の反面メンター 運命の反面メンター

28歳で出会ったご主人。
公務員として真面目に順当に生きてきた純子さん。安全で真っ直ぐなレールを歩いてきた純子さんにとって、旦那様は別世界の存在でした。
24歳から自分がしたいと思ったバーの道に入り、経営者となった。いつだって基準は「自分の気持ち」であり、「今を生きる」人。
自分とは正反対の旦那様の存在は、心の奥底が求めてやまない生き方をしている、「反面メンター」のような存在でもあったのかもしれません。

旦那様は、幸せなのにどこか窮屈そうな純子さんに「純ちゃんが、なにか足りないと思っている残りの2割。その2割が僕といれば見つかるよ」と語りました。
いつでも彼は純子さんに、言葉で、行動で、あり方で、見せてくれ続けてくれたのです。こんな生き方があるんだと言うこと…。

自分の心のままに正直に、思ったままに、人は生きれるし、自分の心のままに生きても、誰も不幸にしないし、幸せに生きることができるのだ、ということ、何かを我慢したり、周りを気にして自分の本音に蓋をして溜め込むのではなく。

ただただ、そのままの心を、感じて、表現して、伝え合い、受け取りあって、そして「今この瞬間のありのまま」で生き切る連続が、自分と周りの未来の幸せをつくっていくのだと言うこと、

大丈夫、あなたはあなたであればいい、大丈夫なんだよ、ということを。
それはまさに、純子さんが保育をする際に大切にしてきたこと、「自らの心情・意欲・態度をど真ん中に置いて生きる生き方」。

他人基準で他人の期待に応えながら、対応して生きてきた純子さんと自分基準で自分の期待に応えながら、創造して生きてきた旦那様。

新田さん夫婦

正反対だからこそ、ともにする時間のあらゆることが、純子さんにとっては、新鮮な驚きであり、新しい視点の獲得であり、新たなる世界への扉だった。目の前で日々を生きる旦那様の、その姿こそが、知らず知らずに幾重にも重ねてきた、誰かや何かの基準やルールという着ぐるみを纏っていることに気づかせ、「大丈夫だよ」と、本音を選んで生きるドアの先へ進むことを可能にしてくれた。
そうして、彼女は、取り戻していくのです。少しずつ、少しずつ。自分の気持ち、本音に気づく感度を。

人間関係のからくりの真実から、深いつながりの見えない世界へ 人間関係のからくりの真実から、深いつながりの見えない世界へ

旦那様との間に授かった我が子。

お子さんとの関わりを通して、すべては心のあり方、捉え方次第、「それが良いか悪いか、正しいか間違ってるか、ではなく、どう捉えるか次第」なんだと言うことに気づき、心と意識の学びを深めてゆかれます。
そして、体感していくのです。

意識が広がって、心が開いて、自分らしく生きる時間が増えていくほどに、純子さんも予想し得ない、周囲の人の能力が開花していくこととなります。

ここで、少し思い出していただきたいことがあります。

あなたが、そうそう人には話せないことを誰かに相談する時、その相談相手に選ぶのはどんな人でしょうか。

きっと、「この人になら、話せる」
「この人は私の話を、否定やジャッジなく聴いてくれる」
「私のことを、きっと大切にしてくれる」
そう感じられる、受け止めてもらえる安心感と、この人なら大丈夫、という信頼感がある人ではないでしょうか。

そう、私たちは、無意識のうちにも「この人なら、きっと受け取ってくれる」という人を、「見えない何か」を感じ取って話す相手を選んでいるし、「この人にはここまでなら話して大丈夫」「この話はしないほうがいいな」というラインを、自然と見極めて話しています。これまでの関係性や経験、その人から発せられる「何か」を察知して、無意識に判断しているのです。言葉よりも、まだまだ感性や感覚が優位な子どもの場合…その判断のほどは、想像に容易いのではないでしょうか。

子どもは、よく見抜きます。
自分の話を聞いてくれる人、信じてくれる人、自分を、本当に心から受け止め味方してくれる人は、誰かを。

「胎内記憶」という言葉をご存知でしょうか。
子どもは、自分が生まれて来る時の記憶を持っている、というもの。
今ではこのワードもすっかりメジャーになったので、お子さんが小さい頃に「ママのお腹の中にいる時どうだった?」とか「お空にいるときは何をしてたの?」なんてことを、お子さんに聞いてみた方も、少なくないかもしれません。

保育士の間でも、胎内記憶はもちろんホットワードでもあり、我が子に興味津々で聞く人も多く、純子さんもその一人。
でも、ご自身がまだまだ心の声を聞き届けることに至らず、心よりも思考で生きていた時に、自分が知りたくて興味本位で聞いても、お子さんは一切答えてくれなかったそうです。

それが。

意識の世界を学ぶようになり、心の扉が大きく開いた!と実感した日。
お風呂で当時3歳だったお子さんが、突然胎内記憶を話し出したそうです。それまでに、胎内記憶に紐づくような話や絵本を読み聞かせたことはもちろんないし、まさか子どもがこんなに話を作り込めるはずもない、という内容…滑り台で降りてきてね…とスラスラと、純子さんにしてくれたそうです。
その話は、胎内記憶で有名な産婦人科医の池川明先生の話にあるものと、びっくりするほど一致するもので、鳥肌が立ったそう。

興味本位で聞いていた時は何も教えてくれなかったのに、純子さんが意識の学びを深め、自分の心とのつながりが深く確かになったときに、予期せずしてそれが起こった。そして、これを皮切りに、お子さんはどんどん、いろんな話を…純子さんに話してくれるようになったそうです。

例えば、
生まれる前のこと。
地震がくるという予知のこと。
お身内が亡くなるときに夢に出てくこと。
さらには純子さんさえ、気づいていなかった、新たな命が宿ったことさえも、言い当てたそうです。

「ママ、昨日まではいっぱい泳いでいたけれど、今日、一つは風船に入ったよ。もうひとつ入ろうと思ったけど、その子は、入れなくなっちゃったの。」

これは…受精のことを言っているとしか思えない。まさか??!!そんなはずはないけど…??!!びっくりして慌てて妊娠検査薬を買いに走った、その結果は、陽性。授かっていた。

やっぱり、超越した「何か」はあるのだと、親子の繋がりの深さと、見えないエネルギーの作用を、さらに確信し始めます。

その後、妊娠3ヶ月に入ったある日…
「ママ、花火になって、お空にかえったよ。」

まさか、と思い、産院に行ってみると…心拍が止まって、流産していたそうです。常識では、全く説明がつかないし、根拠も何もないこと。でも、「そんなのありえない」では、決して済まされないこと。

新田純子さん

純子さんは、ますます確信するようになってゆきます。

私自身に特別な予知能力や、何かを見通したりする力はないけれど、「見えない何かの作用」は存在するし、私たちは人智を超えた意味ある繋がりの中で生かされている。

私が自分の心と繋がり、心の世界の、その限りない広がりと深さに心を開いたら、周りの人も自分の本音や、五感、時には第六感と言えるものまで、その感性をどんどん開き、才能や可能性までもが、開花していくし、見えない何かの作用で、それはどんどんつながり合って私たちの関係性とそこから生まれる世界を深く豊かにしてくれるんじゃないか。

そう、自分の思考や意図を超えたものによって、私たちは、さまざまな経験を与えられ、気づきと学びをを得て、本来の自分に近づき、より豊かに幸せになるように、なっている。きっと。
そして、自分がそうなればなるほど、それは周りの人にも伝わり共鳴しあって広がってゆく。
自分のほんと、を、表現していくようになる。
だからこそ、本音を響かせて生きよう、「自分の身に起きることに意味はある」と信じて、委ねて生きていくことをしていこう。

実は、この後純子さんは、もう一度妊娠し、流産を経験されています。
その時も、当時3歳のお子さんが「鬼さんが連れて帰ったよ」と予知し、のちにこんなことを拙い言葉ながらも一生懸命に話してくれたそうです。一人しかいない神様をお手伝いする、ちっちゃい鬼さんがいてね。その鬼さんと一緒に来るんだけど、赤ちゃんが生まれる時、鬼さんは天にかえるの。ママのお腹に入る時は、巻物を持ってくるんだよ。

巻物は、塗り絵になっていて、どんなお話か決めるの。それがいいなーってなったら、巻物をキュッと抱いて、お腹に入るんだよ。生まれる時にその巻物を、鬼さんに渡して、忘れちゃう。塗り絵に色はついてないんだよ、生まれたら塗るんだよ。

その、鬼さんが、連れて帰って行っただろう、流産したお腹の我が子についても。
悲しくないからね。天に戻るお話でいいって、決めてきた子だから、悲しくないよ。笑ってるよ。だから、大丈夫だよ。

長い間、誰かや何かの期待や気持ちを察知して、推測しては、期待に応えるように「こうするべき」で生きてきた純子さん。
ずっと、思考が優位で生きてきた彼女が、心のことを学び、意識という「見えない力を信じて、本音から生きる」ことを選び、その実践を重ねつつも、まだまだどこかで、生きるためには思考のコントロールが必要で、「こうした方がいい」とか「こうなった方が私にとってはタイミングがいいのに」など、エゴと思考で人生をどうにかしようと思っていた部分もあったそう。

それが、2度の妊娠と流産で体験した、お子さんとの不思議な一件を通して、自分の心の望み、本音から生きることはもちろん大切だけれど、自分の意思や思考ではどうにもコントロールしきれない、人智を超えた何かに突き動かされるようなことも人生にはあるし、そこにもきっと大切な意味と気づきがある。だとしたら、それを信じて委ねて生きることも、とても大切なことなのではないか。
そんなことを、思うようになったそうです。

自分の心の望み、本音と繋がって生きていくこと。

そして、その本音を世界に放った先で、自分の領域を超えた何かによって起きる出来事を、信じて委ねること。
起きていることには、すべて大切な意味があるのだと、それを、感受し、理解しようとすること。
すべては、私の世界と、この世界を、きっとより幸せにするために、起きている、と。

まさかの乳がんと、生かされた命の先で。 まさかの乳がんと、生かされた命の先で。

半年の期間の間に、2度の妊娠と流産を経験した純子さん。 この時に、「短期間に2度も同じタイミングで流産を繰り返すのが気になる。一度検査を受けた方がいい」と勧められ、その後、胸に腫瘍が見つかります。

胸の張りが気になってはいたものの、妊娠して乳腺が発達したからだろうと、やり過ごしていたのが、実は腫瘍だった。
異変を感じて検査をした時にはもうそれはかなりの状態になっていて、軽い気持ちで受けたはずの検査はあっという間に最終段階へと進んでいき、その先で言い渡されたことは「おそらく、悪性だろうから」。

7割方、悪性腫瘍=乳がんだろうと。
季節は冬。春になれば、育休を終えて、保育士として復帰する予定でいたのに、それどころではない状態。2度目の流産がわかったばかりで、まだその処置も終わってない時に突如として降りかかった、どこまでも確定に近い乳がんの疑惑。お腹には心臓の止まった赤ちゃんを抱えながら。放射線治療や抗がん剤治療をどうするかなど、あっという間に進んでいくその話の様子から、状態が決して楽観的ではなく、予断を許さない状態であることを純子さんは察知します。

検査を重ねて迎えた、結果説明の日。
耐え難くのしかかる不安の中で、旦那様と聞いた、その結果は、「陰性」。束の間、ほっとしたにもかかわらず、医師の表情は、決して明るくない。
どう見ても、僕たち医師の経験から行くと、この腫瘍は悪性としか、思えない。

全てのデータが出揃っているのに、陰性という結果が、信用されない。これが陰性なはずはない、と。
もう一度、針生検の最終再検査が行われます。
段階を経て3ヶ月をかけて進めていくその検査の間に、1cmだった腫瘍は、みるみる10cmの大きさへ。
募る不安。

がんがここにあるかもしれない。そう、認識してしまったからこそのものだったかもしれない。

どんどん大きくなる腫瘍。
これが陰性なわけない。焦る医師たち。
検査に検査を重ねて、最終診断の検査へ。

外に立つ女性

この間、純子さんは、あらゆる療法を試したと言います。
西洋医学のみならず、東洋療法、心との付き合い方、見えない力のこと、ヒーリングや遠隔療法、セラピー、ありとあらゆるものを。悪性と結果が出ることを見越して、病院では、乳房全摘と再建の手術の提案、その後の治療の相談が進んでいき、「春に職場復帰なんて、冗談じゃない」ほど。その間も大きく育っていく腫瘍で乳房は形を異様に変えていく。

妊娠、流産、流産の処置がされない間に、がん疑惑とあらゆる検査。再検査の結果を待ちながら、流産の処置手術を受け、そして、あらゆるヒーリングや療法を重ねる日々。不安が溢れる中でも、心を見つめ、可能性を信じて生きていく日々の中で…また、お子さんが言ったそうです。

ママ、大丈夫だよ。ママのおっぱいなくならないよ。と。
この子がそう言うなら、大丈夫かもしれない。可能性に、希望に託すしかない、その最中で、純子さんはあるヒーラーさんに出逢います。
その方が、仰ったこと。多くは言わなくてもわかるから大丈夫。その腫瘍、一気に広がったでしょう。右側だよね?

体の右側に症状が出る場合は無意識に感情を抑え込んできたことが関係し、婦人科系に症状が出る場合は、女性性と関連がある。自分の女性性の否定や、重ねてきた我慢が、結晶となり、症状になって、体に出てくる…。

それは、純子さん自身も、うっすらと予感していたこと。
心の解放が進んで、もう受け取れる、扱える準備ができてきたからこそ、これまでの人生で溜めてきたものたちが、一気に表出する、いわば、心を浄化するための、膿み出し、好転反応ようなものではないか、と。今あなたの体に現れているそれは、半径7000kmに渡って、同じように自分の女性性を抑えてきた人たちの、悲しみを集めて、一気に浄化しようとしている。それは言い換えるなら…。

あなたには、もっと違う方法で、人の悲しみを癒し、心を整えてゆける人。

ヒーラーさんが伝えてくれたその言葉に、純子さんは、ストンと腑に落ちる何かを感じたそうです。

あぁ、そうかと。そこには、言葉では説明できない、納得感があったと。
だからこそ、もう、いいと思ったそうです。「もう、陽性でも陰性でも、どっちでもいいや。」と。
自分の意図を超えたところで起きた、まさかの出来事。出来うることは可能性の限りを尽くしてすべてを試した、その先で言い渡された言葉。

それならもう、どう転んでも、委ねるしかない。
流れに、大いなる何かに、なるようになることに、執着を手放して委ねた先で迎えた、最終結果は、やっぱり、陰性。こんなに検査を重ねても「陰性」と出るなら、もう陰性という結果を、信じましょう。

育ってしまった腫瘍の経過観察と処置をしながら、純子さんは日常生活に戻ることを許され、予定していた通りに、保育士として職場復帰をするのです。

世界は、自分が信じた世界を繋げて見せてくれる、奇跡的な場所 世界は、自分が信じた世界を繋げて見せてくれる、奇跡的な場所

日常に戻られた純子さんは、腫瘍の経過を見ながら、ヒプノセラピー(催眠療法の一つ)も学ばれ、ヒプノセラピストに。

ヒプノセラピーとは
ヒプノセラピーとは、「催眠」と呼ばれる変性意識状態を利用して潜在意識に働きかけ、心因性の問題の低減、解消を図るセラピーです。
ヒプノセラピーには、催眠下で暗示を与えることで悩みの解消や自己改革を行う手法や、幼児・幼少期の記憶を思い起こして原因を探る「年齢退行療法」などがあります。また、スピリチュアリズムの観点からヒプノセラピーを利用する方法として、前世の人生を体験して様々な気づきを得る「前世療法」や、愛する故人との魂のコミュニケーションを行うことで癒しにつながる「悲嘆療法」などがあります。
催眠は1955年に英国医師会(British Medical Association)が有効な治療法として認めています。また、米国医師会(American Medical Association)も1958年に催眠を有効な治療法として認めています。米国心理学会(American Psychological Association)と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めています。

催眠は一種の変性意識状態です。催眠状態になると心を開き前向きな暗示を受け入れやすくなります。その心の状態を利用して習慣や癖の改善や除去、悩みの解消、性格や自己イメージの改善、能力開発、対人関係の改善、ストレスや痛みのコントロール、自己変革、自己探求などを行うのがヒプノセラピー(催眠療法)です。
日本臨床ヒプノセラピスト協会HPより抜粋

それまでの多くの経験を通して、目に見えるものを超えた、見えない何かの力や作用は確かにあることを実感した純子さんは、さらに心が赴くままに学びを深めていくのです。

そしてここでもまた、不思議な体験をしてゆくのです。
私たちをつなぐ、目に見えない何か、そしてそれは時に、時空さえ超えてつながってしまう、素晴らしい奇跡を。

ヒプノセラピーを通して、知ることができた前世。
ここからは、本当に…不思議をさらに超えていくお話かも、しれません。
でも、きっと、大切な、話。

新田純子さん

純子さんがセラピーの中で見た前世の一つに、その昔の中世のイタリアに生きたローザというお姫様がいたそう。なんと、今のご主人と同じ魂と結婚して、お子さんも授かったそう。

戦いに勝った方が領土を広げていく、戦乱の世界だった当時、本当は誰もが戦いながら生きたくなんてないはずだということを感じ、それを説いて歩いていたローザ(純子さん)。その行動は、兵士の士気をさげてしまう、時勢に相応しくない者だと、捕らえられ閉じ込められいてたのを助けてくれたのが、隣国の王子(ご主人)で、二人は結婚したのだとか。

共に戦いのない国にしていこうと進んでいったその先で、ローザ(純子さん)が息絶えた歳が39歳。純子さんの腫瘍が見つかった歳も、39歳。
志なかばで命を終えたという前世の物語を、ヒプノセラピーの中で確かに見て、「前世でやり残したことをやるために、私は生まれたきたんだ」ということを確信。

前世のローザが亡くなった39歳と同じ歳に腫瘍ができたものの、生きる道を与えられた純子さんは、今回の生の目的はきっと、ローザが叶えられなかった道、「戦い無くして幸せに、平和に生きていくこと」を叶えていくことにあるのだと、感じ取ったそうです。

これは、体験した純子さんにしか、感じられないし、分からないこと。
でも、純子さんが確かに感じて、そして、確信したこと。他の誰かにとってどうなのかは分からなくても、説明がうまくつかなくても、純子さんの中では、「ある」こと。

大切なのはきっと、「私がどう感じるか」そして「心が感じたことを、信じられる自分であること」

この前世の物語には、続きがあって、セラピーを受けた時に、その全てを理解することはできず、覚えていても理解に至らなかったヒントがあったそう。
それが、出会う人たちから、不思議と答えをもたらされていくのです。

それが、育休があけて復職した保育所でのこと。
なんと隣のクラスの先生が視える人。隣の隣のクラスの先生も視える人。そして視える園児たちが何人もいる園。
病気も、流産も、学びも全て伏せて復帰していたにもかかわらず、視える先生に話しかけられます。

「新田先生、前世はイタリアのお姫様ね」といってローザという名前や、そのとき着ていたドレスまで、純子さんが見たものと一致。
純子さんは絶句。更にこうも言われます。

「旦那さんはフクロウを飼っていたでしょう?」
セラピーの中で出てきたフクロウのことまでピンポイントで言い当てられます。フクロウが、いたでしょう?
それはね、暗闇の中であってもまた君を見つけるよっていう、ご主人からのメッセージでもあるわね。そして今回も、ご主人はあなたを見つけたでしょう??

順当に生きていたら、決して足を運ぶこともなかった、夜の世界で生きていたご主人。でも、私たちはちゃんと出会って、こうして一緒に生きている。私の人生のメンターのようでもあり、そして、最も愛する人として。彼は、私を、見つけてくれた。

そしてまたある日、思い出すのです。ローザが住んでいたお城の庭一面の薔薇を。

純子さんのお父様は、花の中でなぜか薔薇だけが好きで、ご自身でせっせと苗を買ってきては、薔薇庭園を育てているそう。だから、純子さんのご自宅では、薔薇の木が育ち、季節になると、咲き誇る。そして、お父様は経営されているアパートの敷地内にもわざわざ花壇を増設し、薔薇を植えて丁寧にお世話をされているそうです。なんとそのアパートの名前は「ローズガーデン」。命名したのはお父様。純子さんがヒプノセラピーを学んで自分の前世を見にいくずっと前に付いた名前です。

もしかしたらそれは、「ただそれだけのこと」かもしれないし、偶然のいたずらかもしれません。
でも、それだけのことにはしておけない何かを、心が、感じてしまう。ならばきっと、感じたことこそが、感じた人にとっての確かな答え。

私たちは、生きているのか、生かされているのか。

純子さんの中で、いろんなことが繋がったそうです。

私たちは、時空を超えて、生かされている。
すべてが、サインで、メッセージ。
それは、この人生で出会う、あらゆる人からもたらされ、
私が、私として生きていくために、すべては起きている。

誰もが、使命を授かり生かされながら、

そして私が私として、
ありのままに、存分に、この心から、生きてゆくこと、
心の美しい音色…本音を響かせて、
誰かや何かと争い戦い、蹴落とし勝ち上がって生きるのではなく、
調和とともに、美しいハーモニーを奏で響かせるように、共に生きていくために。

それこそが、きっと、大切なこと。
誰もが、求める生き方。
生かされながら、幸せに生きる道。
それを叶えていくために、今、私はここにいる。生かされて。

新田純子さん

これは、特別な人だけに起きることでは決してなくて。本音で生きれば生きるほど、五感や第六感は開花し、想像と理解を超える出来事がもたらされ、あなたが生まれてくるときに抱えてきた、塗り絵の巻物に書かれただろう使命へと誘われていく、という、一つの、例。

誰もに与えられた可能性であり、あなたにも起こり得ること。そして純子さんはこう言います。
「こんなにたくさんの体験をしている当の私は、なんの特殊能力もないんです。視えないし感じない。でもそんな私でも心の本音を純粋に響かせていくと、出会うんです、こんな世界に。見えないなにかにすっぽりと守られているような世界に。」

この出来事から、あんなに大きく広がっていた胸の腫瘍が、日に日に改善、治癒へ。不思議で、怒涛な日々を経て、純子さんは「使命とともに生かされながら、心の本音と調和して生きる、自責も他責もない誰もが幸せで平和な世界を」と、一人一人の「心」から広げていくために、実践し体験されてきたことを、体系化。「セルフチューニング実践講座」として世に広げてゆくのです。

本音を表現することは、怖くない。
本音は、あたたかい。
本音が、わたしの魅力も可能性もひらき、
わたしがわたしとして生きる人生を創ってくれる。
時には、五感を超えた、第六感…。

その先の目には見えない繋がり、
不思議な世界の扉さえ開いて
想像以上のつながりや喜びを、もたらしてくれる。

あなたが世界に
その心をありのままにひらけばひらくほど、
あなたのまわりの人の心も、ひらかれて
その人らしく生きる人生に、なってゆく。

話をするt女性達

2022年1月。
新年早々に、ご主人がくも膜下出血で12時間に及ぶ大手術を受けた、新田家。
状況としては万が一のこともが想定された、大手術。予想もしなかった、まさかの出来事の、その時にも。 純子さんは、心の真ん中、その気持ちを、大切に感じることを、欠かしませんでした。緊急のための対応をする間で、空の下で、風を感じ、太陽の光を感じ、自然の中の、大いなる世界の中の「わたし」になって、不安も、悲しさも、出会えた喜びも、これまでの日々のことも、全部全部、感じて味わい尽くして。

今感じていることを、感じきる。心の中の澱を溜めない。
そうして、心の真ん中を、クリアにすることができたなら。

「きっと、大丈夫。全ての気持ちを、心を、出し切って伝え合って、生きてきたから。後悔はない。あとは、ただただ、信じ委ねて受け止めるだけ。」そう、思えたそうです。心に、風が吹いた、と。非日常の、非常事態のまさかの時でさえも。今まで重ね体験してきたこと、セルフチューニングを信じて、実践して、そして委ねて。わたしはわたしでここにいる、と、不安に飲み込まれることなく、自らの真ん中から生きた、純子さん。

とっても、不思議なことなのですが。

時を同じくして、この日、わたしの父が、亡くなりました。
時刻は、昼の12時31分。

奇しくもこの時、純子さんは、旦那様の手術中に一度ご自宅に戻られ、手術室に向かっていた時。病院の廊下でキツネにつままれたように迷ってしまいます。何度も何度も角を曲がり、落ち着こうと、ふと顔をあげた先にあったミラーがキラリと光りました…そしてそのとき男性の声を聞いたそうです。

でもそれは、旦那様の声では、なくて。
今のはなんだったんだろうと、やっとたどり着いた手術室。時計に目をやった時間が、12時33分。

そこで届いた、わたしからのメッセージ。
父が亡くなったので、依頼されている仕事が遅れる件をわたしは純子さんに伝えたのですが純子さんから来た返事は「つかぬことを聞きますが、お父様は何時に天に召されたのでしょうか?」と。純子さんが誰かの、男性の声を聞いた時間は、わたしの父が息を引き取った時間でした。

ただの偶然だったかもしれない。

でも。私たちの間には、なんとも言えない、不思議だけれどあたたかいものが、伝わっていました。あの時。
あぁ、何か、届いたんだな。届けたかったんだな、お父さんは。そう思うわたしと。

俺はここにいるって、伝えてくれたのかもしれない。
あそゆかさんのお父様が、自分の分まで生きろって、言ってくれたのかもしれない。
なぜかそう感じた、純子さん。

それが正しいか間違ってるかとか、本当かどうか、ではなくて。

「時空を超えて、今この時に、何かが私たちにつながり合い、
伝わり合い、そうして今ここに、私たちは、生きて生かされているんだ。」

そう感じたこの心を、わたしたちは信じてる。

そんな目には見えない、何かを怖いものやおかしいものとしてではなく、私たちを生かしてくれるあたたかなつながりと、感じて生きた方がきっと、幸せ。少なくとも、わたしは、そう信じています。

感情

気持ち
思い
思考
価値観
思い込み
願い
祈り。

どれもこれも、目に見えません。
目に見えないものに縛られとらわれるより目に見えないものだけど確かに感じることを。

それはきっと何か大切なメッセージ。
意味があることと。

信じて委ねて、大丈夫だと、ありがとうと私たちを生かしてくれる、あたたかな魔法と思って生きる方が、きっといい。

新田純子さん

旦那様の12時間に及ぶ大手術を、ひとり待合室で待っていた純子さんが偶然にも受け取った、愛読するある公式ラインからのメッセージは、この日に限って、なぜか音楽のみでした。「今日はなんとなく音楽のみにしてお届けします」、そうして流れてきた曲は「New Born」

「これを聞いて新しく生まれ変わるつもりで眠りについてください」と締めくくられていたメッセージ。
つながってる。だからきっと大丈夫。
純子さんは、家族待合室で何度も何度も「New Born」をリピートして聞き、ご主人の復活を祈ったそうです。

旦那様は12時間の手術の間、眠り続け、無事大手術を超えて、開頭手術で50針も縫ったにもかかわらず、奇跡的に回復、退院。
新田家のまた新たなる「日常」が始まっています。

本当かどうか、そのエビデンスも確証もどこにもない、でも、そこには確かにドラマがあった、Another Story。
これをどう受け取るかは、もちろん、あなた次第です。

あなたは、何を信じているでしょうか。
何を感じ、受け取りながら生きているでしょうか。
あなたが信じているものが、あなたを幸せに、心豊かにするものであることを願いながら、この長すぎるほどのAnother Story を終えたいと思います。