生きることに成績はいらない
評価のない世界の私へ
生きることに成績はいらない
評価のない世界の私へ
開業保健師
瀧口 奈々さん
看護師、保健師としての経験をもとに、主に看護師のお母さんのマインドサポートもされている瀧口奈々さんの、縁側ストーリー。
インタビュー・ライティング=あそゆか
くじけたりしない私の、伏線。
ー 子どもの頃から、頑張ることができる子だった奈々さん。
ただただ、自分の心のままに何かをすることよりも、テストや受験、そこに結果や評価が与えられるものの方が、得意だし、頑張れる。結果も、出せる。だって、そこには誰かの「OK」があるし、もし「NO」や「NG」があったとしても、どうしたらいいかって、わかるから。
誰かや何かが私の人生の基準。
大丈夫、期待は、外さない。
そんな生き方に気づくことも疑問を抱くこともないまま大人になり、看護師と保健師の資格を持ち、十分恵まれた環境で生きていた奈々さん。
結婚後、不妊治療を経て授かった我が子は、待望の一姫二太郎。子煩悩で料理もする、優しい夫に恵まれ、仕事もしてきた、誰もが良かったねという、理想だろう姿。
でも。
傍目には理想に見える、自分でもそうだと思う、でも、そこにあった、心のリアルは。
二人目の出産後の目まぐるしい日々の中、精神が不安定になり、眠れなくなった奈々さん。自分でもこれはもう、産後うつなのかもしれない、という予感が十分すぎるほどにあって。
でも、保健師として、その道のプロの私が、産後うつ?!!まさか。そんなこと認めたくない。そんなことがあるわけない。
それでも、苦しくなる心身を騙せなくて出向いた、病院。助けて欲しい気持ちがありながらも、ご自身の弱さ、その苦しさを全部は吐き出せない。
もう何日も眠れていないのに「ちょっと眠れないだけ。」そんな言葉しか伝えられない。
目の前にある問診票に、どう答えたら、どう判断されるのか、わかってしまう。
ここと、ここに、こう答えたら、わたしはきっと、要注意のお母さん、「産後うつのお母さん」の烙印がついてしまう。
自身が該当しているはずの質問に、チェックを入れられない。入れたら、終わりだから。
保健師だからこそ、自分にはわかる。どこがボーダーラインなのか。何にチェックを入れたら、判定がついてしまうのか。だから、それはしない。まだ、頑張れるはず。烙印を押されるわけにはいかない、そんな自分になんて、出会いたくない。
処方された薬を見て、眠れないだけだと言ったはずなのに、安定剤を出されたことに対する、認めたくない気持ち。
「安定剤、出してきたんだ。」
そんな気持ちさえ湧き上がってきてしまう。
本当は、頼りたい。でも、頼ったら、わたしがくじけてしまう。そんなの、いやだ。
たった1mgのはずのその錠剤を飲むことさえ、自分自身に最大のバツがつく、まるで審判のよう。
これをまるまると飲んでしまったら、これまで築き上げてきた自分が砕かれてしまうようで、どうしても、飲めない。
でも、助けて欲しい。これをまるまると飲んでしまったら、これまで築き上げてきた自分が砕かれてしまうようで、どうしても、飲めない。
でも、助けて欲しい。
でも。
これを飲んだら、わたしは認めてしまうことになる。
看護師で、保健師でもあるのに、「産後うつのお母さん」だということを。
小さな、たった1mgの錠剤を、1/4 錠に砕いて飲むのが、精一杯だったあの頃。なんとかして保持したかった、あるべき自分の姿。認めたくなかった、挫けた自分。
そんな状態だったある日、お子さんが腸重積に。小児がかかる病気としては重く、時に亡くなることさえある病気。
まさかの事態、我が子に付き添い看病しなくてはいけない、その切羽詰まったその時になってやっと。
旦那様に電話をして、言えたそうです。
「わたしの安定剤を、持ってきて。」と。
自分の頑なな見栄やプライドのために、安定剤なんて飲みたくない、そんなことを言っている場合じゃない。
やっと…
ご自身が置かれた心身の状態を認め、受け入れ、そして、
薬に頼って楽になることを、
できる、ちゃんとしているわたしが、くじけることを許可できた、そんな瞬間だったのかもしれません。
奇しくもそれは、12月24日、クリスマスイブ。
思いがけない、心のクリスマスギフト。
心はきっと、わかっていた
ー 誰かや何かのために頑張ることならできて、結果も出せる。でも本当は、ちゃんとできない、自分もいる
保健師として、看護師としての、「できるわたし」と「一母親として、産後うつにもなるわたし」
外の世界に対して、立ててきた看板と、内なる自分の本当の気持ち、その実像。その乖離をどこかで感じながら、いつしかまた元の日常に戻っていった、その中で、奈々さんは縁側の代表、新田純子さんのブログに出逢います。
いつだったのか、どう言うきっかけだったのかは、もはや覚えてないけれど、ずっと記事を読んでいた、そうおっしゃっていました。
ー 産後うつから抜け出した、その後の奈々さんの日常は、側から見れば「順風満帆」
行政での保健師としてのお仕事。年齢的にも正職員への登用は最後のチャンスという年には、上司への計らいもあって、このままいけば、正職員への登用はきっと間違いなし。
子どもだって元気だし、なんの問題もないし、世間的に見れば、理解ある素敵な旦那様だっている。そしてそれこそが、親が望んでる姿でもあるはず。それは自分でもわかってる。文句なんて言えるはずがない。
でも。
だけど。
どんなに側から見て恵まれている境遇にあるとわかっていても、自分自身の内側では、何かが、ズレている。だから、わかる。
ー 「このまま生きてもきっと、うまくいかない」そんな感覚が、打ち消せない。
その思いが湧いては蓋をして、また浮かんでは、自分の中で、打ち消し、日常に戻る。
そんなはずはない、という気持ちと、でもいつかきっと、このままでは「わたしが」立ち行かなくなる予感との、行ったり来たり。
だから、いつも予定ややるべきことをたくさん、詰め込んでいたそうです。心から目を逸らすように。
でも、やっぱりそうじゃない気がする。そうして辿り着いたのが、縁側の「セルフチューニング実践講座」でした。
実は、別の講座に申し込むことを考えていた、と教えてくれた奈々さん。同じ保健師さんが開講している、マインド系の講座に行こうと思っていたけれど。
でも。
心が、縁側だって、感じたそうです。恐々ながらも、やっぱりこっちだ、と。
だからと言って、そこで何かを得たいと明確に思っていたかと言うと、決してそうではなくて。
ー ただただ、心が、縁側を求めた、だからその門を叩いた。
最初は体験講座的なものから、と恐々ながらも近寄ったのに、あいにくそれはすでに閉講しており、思いがけず本丸のセルフチューニング実践講座に参加するハメに。でも、その流れすら、きっと見えない何かの計らい。
そうして、2020年8月からのセルフチューニング実践講座に、参加されます。
そこで出会ったものは。
評価も褒めることもしてくれない世界の恐怖と再生
セルフチューニング実践講座の始まりに書く「クロニクル」
いわゆる、自分史、それを各々が記すそうです。
自分が生きてきた時間、その歴史を思い返し、自ら記す。それはきっと、「私が私を見つめ、気づき、受け止めて行く」だろう時間。
まだセッションさえ始まっていない、そのクロニクルで、奈々さんは自分の生きた時間を見返しながら、「私が求めてやまなかったこと」が何か、改めて気づき、息が苦しくなるほどに大泣きをしたそうです。ずっとずっと、抱えてきたご自身の心、大切に握りしめてきたものを、確認して。
でもそこで、ずっと、表向きの自分と、内側の自分の間に感じていたズレ、乖離は、半分近く、整った、ともおっしゃっていました。
ー 他の誰でもなく、「私が、私を見つめ、気づき、受け止める」
ここに、大きなヒントがあるのでしょう。
そうして始まった、セルフチューニング実践講座は、どうだったか、と聞いてみると。
本当に怖かったと。
なぜなら、その場所は
褒めてもくれないし評価もしてくれない
もっと言うと
貶してもくれない。
そんな場所だったから。
縁側には、あまりに優しく、そして、あまりに真っ向すぎる一つのルールーがあるようです。
それが
どのワークも課題も、やりとりも、メッセージの返信でさえも
やってもいいしやらなくてもいい
納期もない
と言うこと。
あなたがやること、やらないことに、
いいも悪いもないし
早いも遅いもない
そこに、一切の優劣、評価をつけない
褒めることもダメ出しも何もない
持ち上げらることも捌かれることもない
つまりは
すべて、あなたの心に従えばいいこと
どこまでもあたたかく優しい自由と自己責任の世界。
ー 縁側、とは。
どこまでも、どこまでも。
あなたが感じたこと、決めたこと、選んだことなら、
それでいい、それがいい、そんな世界があることを体験する
絶対的安心の場所。
これまで、誰かや何かの期待や反応、
それに対応するように生きてきた人、
他人の評価こそが自分の基準で生きてきた人にとっては
これほど怖いことはないと言います。
そして、奈々さんはまさにそうだった。
評価されるために応える方が、
誰かの期待という正解を出す方が、
点数や結果があって、それを叶える方が、
よっぽど楽で簡単だったのに
縁側にはそれが一切ない。
誰かの期待や笑顔のために生きてきた奈々さんにとって
当初はこれほど怖くてしんどいことはなかったそうです。
誰かからの評価がない、ただただあなたでいれば大丈夫なはずの、絶対的安心感があるその場所にあったのは
(セルフチューニングを伝えている)純子さんにとって、自分が大丈夫なのかどうか、そうやって、自分からではなく、誰かや何か、その反応や評価を気にしている自分自身との対峙だったから。
傍目には生き生きして、自由にやっていて、言いたいことも言っているように見えていた、そのご自身の実像は
誰かの許容範囲の中で自由そうに泳ぐ自分だっただけで
本当は、自分の心に正直には生きてなかった。
ご自身の正直な丸裸の心の内側を認めていく先にあったのは、
私の中にも本当はいろんな自分がいること、
ダメな自分、悲しんだり、怒ったり、挫けたり、
今までは「こんな自分はだめ」と思っていた自分自身との、再会と和解
それはきっと
挫けられない私から
挫けたって私はわたし、
ううん、きっと、「それこそがわたし」の世界だった。
真の再生
縁側に出会い、セルフチューニング実践講座に参加して、そうして、奈々さんはどう変化したのか。
恵まれた環境にいるからこそ、そこで悲しんだり、文句を言いたくなったり、NOを選択すること、落ち込んだり、挫けたり、怒りたくなること、そんな感情を持つ自分を、許可できなかったし、誰かと揉めることもしたくなかった、
うまく行っている=揉め事がない
うまくいかせるため、いい関係を保つために、揉めてはいけない、揉め事になるような感情を表現してはいけない
という公式からの脱却。
ー 幸せ=揉め事がない、ではないのです。
自分の気持ちに正直になれた分、誰かの気持ちの前に妥協したり、嘘をつくことができなくなっていくわけで。
だからこそ、旦那様に対しても、気持ちを表た結果、時には喧嘩をすることも増えたそう。
でも、そうして、奈々さんがご自身の気持ちを表現すればするほどに、次第に、旦那様も、以前より自分の気持ちを出すように、なった。
それは、時に、悲しみや怒りや弱さ、そう言ったものも。
だから、時には喧嘩にもなるけれど。
でも、心と心を、出し合うからこそ、互いを理解しあえる。
その、生々しい心こそが、実は、わたしそのものであり、リアル。
それは、相手だって、そう。
もちろん、穏やかに気持ちを伝えられたらベスト。でも、それができない自分もまた、自分。そんな自分を認められるようになったから、周りの人の様々な心の動きにも、気づき、受け止め、向き合うことができるようになったそうです。
揉め事もなく、ただただつつがなく日々が過ぎていくその後ろで、実は自分の本音を秘めている、そんな日々が幸せなのでは、実はなくて。
たとえ時にはぶつかり合っても、揉めても。
本音と本音でつながり合う、そんな、関係。
いろんな波がある、起きる、
それこそが、心と心をもった私たちの、スタンダード。
乗り越えていけばいい。
揉めてもぶつかっても、終焉しない。
それこそが、本物のつながり。
奈々さんが手に入れたのは、その関係、そうなるための、ご自身の、あり方。
縁側は、それを伝え教え、体感させてくれる、北風と太陽の太陽のような、そんな場所。
インタビュー中に教えてくださった、印象的なお話。
以前は外科でナースとして勤務されたいたこともある奈々さん。
薬を塗っても、飲んでも、傷口がどうしても修復しない、打つ手がない、そんな時に最終的にされる処方は何かと言うと。
中途半端に治りかけた、その傷や肉をもう一度取り去り、ただただ、水で24時間洗浄し続けるそうです。
薬剤を使うことなく、新たな手術をするでもなく、ただただ、水で洗い流し続ける。そうすると、人の肉は綺麗なピンク色になり、自らの修復力によって、傷が癒えていく、そんな場面を何度も目の当たりにされたのだとか。
私たちは、人として認められるために、幸せになるために、時には傷つきたくなくて、いろんなものを切り貼りしたくなる生き物。さまざまな生きるための知識、資格や、肩書きや、見栄やプライド。
でも本当は、それはなくても、生きていけるし、それこそが、わたしそのもの。
自分が自分として生きていく、その免疫力も修復力も、生命力も、きっと自らの内に、もう、備わっている。
だから、それを……
自分自身のその力を信じて、無駄なものは削ぎ落として生きていけば良いだけ、なのかもしれないし
縁側という場所は、きっと、無駄に上塗りした余計なお薬たち、不安から塗りたくった見栄やプライド、強がり、頭でっかちになってしまった、わたしではない心と思考の不純物をそぎ落とし、
わたしの真ん中、その本音から生き直すこと、「わたしの真の再生」をする場所。
セルフチューニング実践講座に出会った、2020年8月からの時間を経て。今年3月には、保健師として勤めていた場所を退職、フリーランスの保健師として独立された奈々さん。
これまでよりも、一人一人のお母さんの悩みに耳を傾けられること、寄り添えることも増え、現在では、「わたしのYes!子育ても夫婦も仕事も、自分を味方に、楽しむわたしになる!」【salon Casa】代表として、本当に望む人生を自分らしく生きるための実践講座もスタート。
2022年1月から、次期の講座が始まります。
「昨日も、(旦那様と)喧嘩した。
昨日のは、ちょっと複雑だった。」
そう仰った時の言葉の温度、その表情。
それは、決して悪いことが起きた、というものではなくて、さらりと口にできること。
ちゃんと、未来の「私たち」への信頼が、そこにある。
わたしの本音で、大丈夫。
そのわたしで、つながっていける。
今も、これからも。